シトロエンチューナー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 05:09 UTC 版)
「DB (自動車)」の記事における「シトロエンチューナー時代」の解説
2人はシトロエン・11CVレジェをベースとしたレーシングカーを作り始め、FFのパワートレーンや足回りこそ使っていたがベースと似ても似つかないオープン2座のスペシャルを1938年に完成させた。重視されたのは空気抵抗低減で、特に前面投影面積を減らすことに重点が置かれた。2リッターエンジンはベースの45hpから60hpにパワーアップされていた。この年のパリ12時間レースでデビューし、最高速度160km/h、155km/h以上で1時間走り続けるという2,000ccクラスの記録を樹立したが、1939年には第二次世界大戦激化により計画は中断した。 戦争が終結すると混乱のさなか早くも1947年シトロエン2リッターエンジンを80hpにチューニングして使用したF2マシンとレーシングスポーツを作り上げた。トランスミッションはシトロエン用を4MTに改造して使った。このトランスミッションは後にジョン・クーパーが初めてF2マシンを作った時に流用され、1959年までクーパーF1用として使われた。 1949年にはシトロエン・7CV用をベースとした1.5リッターマシンで戦後初のル・マン24時間レースに出場した。
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