サルジウトの起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 20:12 UTC 版)
『元朝秘史』によると、ボルテ・チノ(蒼き狼)の子孫にドブン・メルゲンという人物がおり、その妻がアラン・ゴアであった。ドブン・メルゲンに先立たれた後、アラン・ゴアは光の精の子供を身ごもり、ブグゥ・カタギ、ブカトゥ・サルジ、ボドンチャルという三人の子供が生まれた。この3兄弟の子孫がそれぞれカタギン氏、サルジウト氏、ボルジギン氏になったという。 後にモンゴル部ではボルジギン氏が支配氏族となり、その一派キヤト・ボルジギン氏からチンギス・カンが登場しモンゴル帝国を建国した。しかしカタギン氏・サルジウト氏がボルジギン氏に近しい一族であることはモンゴル帝国-大元ウルスでも強く意識されており、「国家(=帝室)と同源にして異流」、「[サルジウトの]祖先は国家(=帝室)と同じ出自で臣族の中でも最も高貴」と表現されている。 12世紀のモンゴル部の中でカタギン氏・サルジウト氏はかなり強力な氏族であり、『金史』には「合底忻部」「山只昆部」として登場する。『金史』によるとこの2つの部族は北方の強力な部族で、他の勢力に属さず、タタル部やコンギラト部の間を往来し、屡々金朝の辺境に侵攻したという。また金の承安3年(1198年)には、王族の完顔宗浩が軍を率いて忒里葛山でベルグテイ(白古帯)率いるカタギン、クビライ(胡必剌)率いるサルジウトの連合軍を破ったことが記録されている。 『金史』の記述などから当時のカタギン氏・サルジウト氏の遊牧地はフルンボイル地方の東北方、ハイラル川・アルグン川方面であったと推測されている。アルグン川一帯はモンゴル部の源住地であるが、ブルカン・カルドゥンを本拠地とするボルジギン氏の遊牧地より遠く離れており、この頃既にカタギン氏・サルジウト氏とボルジギン氏は密接な関係を有していなかったと見られる。
※この「サルジウトの起源」の解説は、「サルジウト」の解説の一部です。
「サルジウトの起源」を含む「サルジウト」の記事については、「サルジウト」の概要を参照ください。
- サルジウトの起源のページへのリンク