サユディスの設立
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1988年6月3日にリトアニア科学アカデミー(英語版)で開かれた会合では、共産党員・非共産党員を問わず知識人たちが集まり、サユディス発起グループ(リトアニア語: Sąjūdžio iniciatyvinė grupė)を形成した。このグループは35名からなり、そのうちのほとんどが芸術家であった。また、35名のうち17名が共産党員でもあった。このグループは、ゴルバチョフが推進したペレストロイカ、グラスノスチ、および民主化を支持する運動の組織化を目標としており、彼らはこれを「改革運動」と呼んだのだが、ここから単に「サユディス」として知られるようになった。 1988年6月24日、サユディスによる初めての大規模集会が開催。そこで、ソ連共産党第19回全国党協議会に出席する代表は、サユディスの目標を指示された。その代表団が7月に帰還したときには約10万人がヴィンギス公園に集まり、歓迎した。もう一つの大規模集会は8月23日に開かれ、約25万人の人々が集まった。そこで人々はバルト三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約付属の秘密議定書に抗議した。 6月19日、地下新聞「サユディス・ニュース」(リトアニア語: Sąjūdžio žinios)が初めて刊行された。続いて9月には新聞「アトギミマス」(リトアニア語: Atgimimas、「再生」の意)を合法的に刊行。そして刊行された約150誌もの新聞がサユディス支持を表明するにいたった。 同年10月、サユディスは設立大会をヴィリニュスで開催。35名の立法委員を選出したが、そのほとんどは創設メンバーであった。そこでヴィータウタス・ランズベルギスが委員会議長に就任。彼は当時音楽学の教授で、非共産党員であった。
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