ゴールド (ディスコ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/07 04:10 UTC 版)
GOLD(ゴールド)は、1989年から1995年にかけて、東京都港区海岸三丁目で営業していた大型ディスコ[1][2]。「クラブ」としても言及される[3]。立地していた海岸三丁目は、行政上の地名の「芝浦」とは、運河を挟んで対岸に位置していたが、芝浦GOLD(しばうらゴールド)と通称され[4]、「芝浦のGOLD」として言及されることがよくあった[5]。
- ^ a b c “東京ふしぎ探検隊 ジュリアナがアップルの広告拠点に バブル跡を歩く (2/4)”. 日経BP社 (2012年4月6日). 2018年4月22日閲覧。
- ^ a b “[水辺からの報告]倉庫街(下)芝浦 遊び場として脚光 巨大ディスコに行列”. 読売新聞・東京朝刊・都民: p. 27. (1992年5月28日). "港区海岸三丁目で、前衛的なファッションショーなどを開催し、注目されているのがディスコ「GOLD」。" - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b “金銀キラキラ 光りものを楽しむ 金ボタンから靴やバッグも”. 読売新聞・東京朝刊: p. 16. (1991年2月26日). "東京・芝浦のクラブ「ゴールド」では、昨秋から毎月一回、光るものを身に付けることを入場の条件にした夜を設けた。一晩で入場者は約千人という。" - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ a b “Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM 都築響一さん_Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM_vol.267”. TOKYO FM (2013年5月31日). 2018年4月22日閲覧。
- ^ a b “CDが99% アナログが限りなくゼロに…(リポート・レコード)”. アエラ (朝日新聞社): p. 49. (1990年5月1日). "東京・芝浦の「GOLD」のDJ、高橋透さん(33)は...、" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 宮台真司; 荘口彰久 (1997年4月24日). “[ぽっぷかるちゃ~]クラブ 宮台真司さん/荘口彰久さん (月例講座)”. 毎日新聞・東京夕刊: p. 9 - 毎索にて閲覧
- ^ “OUTLINE 会社概要”. TABLEBEET. 2018年4月22日閲覧。
- ^ “Tohru Takahashi (高橋透)”. contact. 2018年4月22日閲覧。
- 1 ゴールド (ディスコ)とは
- 2 ゴールド (ディスコ)の概要
「ゴールド (ディスコ)」の例文・使い方・用例・文例
- 1849年のカリフォルニアのゴールドラッシュ
- ではこのゴールドの紙で。
- それは私には高すぎます。100ゴールドで承諾してくれませんか?
- それは私には高すぎます。200ゴールドで承諾してくれませんか?
- 両親からは、ピンクゴールドのネックレスをもらいました。
- 両親からは、ピンクゴールド製のネックレスをもらいました。
- みんなが「ゴールド・ゴーイング・ウィーク」と呼びます。
- マリーゴールドは太陽とともに起きる。
- 金鉱熱, ゴールドラッシュ.
- 貪欲とゴールド・ラッシュの人を釣り込むような興奮
- 都市の中で、賭博場、淫売宿、酒場、荒っぽい歓楽街で悪名高い場所(特に1849年のゴールドラッシュ以降の、サンフランシスコ波止場地域)
- ロギングキャンプ場やゴールドラッシュを特徴としていて、アルペン自然環境保護区であるワシントンの国立公園
- シカゴのゴールドコーストは、ミシガン湖に沿ってある
- ナイジェリア、カメルーン、ガンビア、トーゴ、シエラレオネ、およびゴールドコーストを含む西アフリカの旧英国の領土
- 1849年にカリフォルニアのゴールドラッシュに加わった鉱夫
- 米国の作家で、カリフォルニアのゴールド・ラッシュの間の生活についての物語で知られる(1836年−1902年)
- クロンダイク・ゴールド・ラッシュの経験に基づく小説の米国の小説家(1876年−1916年)
- 米国の映画製作者(ロシア生まれ)で、自分の映画会社を設立し、その後サミュエル・ゴールドウィンと合併した(1885年−1957年)
- マリーゴールド
- アルピンゴールドににているがそれよりも小さい
- ゴールド (ディスコ)のページへのリンク