ゴールドスター・金星スターズ
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「大映ユニオンズ」の記事における「ゴールドスター・金星スターズ」の解説
1946年、戦中に存在した朝日軍(後の松竹ロビンス)の選手らを中心にゴールドスターを結成。同年2月18日にリーグ加盟。愛称は金星で金星ゴールドスターとも呼ばれた(参照)。スポンサーは田村駒治郎(松竹ロビンス系統のスポンサー)が運営していた奈良県南葛城郡御所町(現・御所市)の工場であった(発足の経緯は後述)。オーナーは橋本三郎。 1947年、ニックネーム導入に際し通称名の金星を取り入れ金星スターズに改称。1948年2月26日、経営難のため旧国民リーグの大塚アスレチックスを率いていた大塚幸之助に250万円で球団を売却。国民リーグからは9人の選手が合流したが、金星スターズの名称は変更されなかった。当時、チームマネージャーとして喜多川諦道(メリー喜多川・ジャニー喜多川姉弟の父)が所属している。 このとき一軍ベンチに入れない選手を「金星リトルスターズ」として全国を巡業させ、各地のセミプロやノンプロと戦わせていた。ファームが一軍と離れて興行をしたほぼ初めてのケースといわれている。当時、ファームの本格的なリーグ戦はまだ存在していなかった。リトルスターズの監督には国民リーグの旧結城ブレーブス監督である石本秀一を充てた。
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