ゴジラシリーズの終了とパニック映画の台頭
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「東宝特撮」の記事における「ゴジラシリーズの終了とパニック映画の台頭」の解説
1970年代になると第二次怪獣ブームに乗ってゴジラシリーズの人気は続いたが、オイルショックによる物価高騰と不況は、制作費の高騰と興行成績の悪化を招いた。 戦争映画は特撮を主体としないものに移行したのち休止し、またゴジラシリーズも特殊撮影課から分離された東宝映像による製作にシフトされたが、徐々にゴジラシリーズの興業も悪化。制作費やスケジュールは圧縮、特撮シーンや造芸は旧作からの流用が目立ち始め徐々に作品の粗雑化が進み始める。そしてゴジラシリーズは1975年の『メカゴジラの逆襲』でシリーズ最低興業を迎え、シリーズの終了に至った。同時期には、東宝映像はテレビ特撮も手がけることになり、ゴジラシリーズ同様巨大怪獣が登場する『流星人間ゾーン』や等身大ヒーローである『愛の戦士レインボーマン』などの作品を生んだが、これらも第二次特撮ブームの終了によって短期間の製作に終わった。 「第二次怪獣ブーム」も参照 一方で、1973年に公開された『日本沈没』は、世相を反映して空前の大ヒットとなった。以降、円谷の弟子である中野昭慶による派手な爆発シーンを売りとしたパニック作品が一時期続くことになる。
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