グランパス島探査と南鳥島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:39 UTC 版)
「水谷新六」の記事における「グランパス島探査と南鳥島」の解説
1890年前後、グランパス島発見を目指してしばしば探査船が南洋を捜索した。しかし誰もグランパス島を発見することは出来なかった。グランパス島の捜索に熱心に取り組んだ人物の一人が水谷新六であった。水谷は前述の1885年の後、南洋貿易に従事するようになった1888年から1889年にかけてもグランパス島探査を行った。 金十舎の社員となった水谷は1896年11月、マリアナ諸島への貿易船運航の機会を捉えてグランパス島探査の航海に出航した。水谷はグランパス島を求めて広い海域を探し回ったものの見つけ出すことが出来なかった。そうこうするうちに船員の中から不満の声が挙がり出したため、やむなく探査をあきらめてサイパン島へ向かおうとしたところ、12月3日に島を発見した。 しかし発見した島は天然の良港に恵まれ相当の大きさがあると言われたグランパス島とは異なり、小島であった。船員たちは失望したもの上陸してみたところ、島には多くのアホウドリがいた。当時、玉置半右衛門が鳥島でアホウドリの羽毛を採集し、巨利を挙げていた。水谷はこの玉置のアホウドリ羽毛採取のビジネスモデルを発見した小島で展開できると判断した。水谷は早速1896年12月末には母島から20名の労働者を渡島させ、アホウドリの羽毛採取事業を開始した。
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