クリスチャン少年殺害事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:52 UTC 版)
「チャールズ・ハッチャー」の記事における「クリスチャン少年殺害事件」の解説
ミズーリ州のセント・ジョゼフに住む6歳の男の子エリック・スコット・クリスチャン[要出典](Eric Christgen)は1978年5月26日に行方不明になった。クリスチャン少年の父は地元政財界に影響力を持つ実業家であったことから、市を挙げての大捜索が行なわれたものの、結局惨殺死体となって発見された。警察の必死の捜査の結果、同じ市に住む僅かに知的障害があり前科のあるゲイの男性が逮捕された。尋問したところ精神的に不安定だったこともあり容疑を認めた。裁判では終身刑の判決を受けこれで一件落着かと思われていたが、1982年、ミッシェル・スティールが殺害され、事件直後、近隣地域にある精神病院に「アルバート・プライス(Albert Price)」名義で入院したハッチャーが捜査線上に浮かび、逮捕されたのだった。拘置所に収監後、信頼を得たFBIの担当捜査官にこれまでの犯行を自供。クリスチャン少年殺害についてもゲイの男性の関与を否定し単独犯行だったと主張した。裁判でもそのように証言し検察側を認め、彼は釈放された。その後男性は結婚して同じ町で暮らしている。 このことは全米で報道され、冤罪事件だと分かると町は強い衝撃を受けた。クリスチャンの事件の担当検事はミスを認めたが、警察は認めようとしなかった。また、エリックの両親は今でも息子を殺したのはハッチャーではなく、最初に逮捕されたゲイの男性だと信じているという。
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