クラウディウス帝による建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/29 13:37 UTC 版)
「オスティア港」の記事における「クラウディウス帝による建設」の解説
皇帝クラウディウスは、オスティアの北方約4kmのテヴェレ川北岸にローマの外港であるオスティア港を築造した。2本の曲線を描いた堤防により仕切られた港の面積は約69ヘクタールで、堤防の突端の間には灯台のある島が築かれた。この島はエジプトからネロ競技場(英語版)(現 サン・ピエトロ広場)に移設するオベリスクを運んだ船(オベリスク船(英語版))を沈めてAD46年に造られたものである。港はティレニア海に直接面しており、テヴェレ川との間は運河で結ばれていた。 この灯台のある島が港の入口にあるため、南西方向からの風や波を避けることができ、(テヴェレ川河口沿いの船着場と違い)天候に左右されずに小麦を荷揚げしローマに輸送することが可能となった。しかし、ローマの歴史家タキトゥスは、AD62年に暴風雨により港内で何隻もの穀物を輸送する貨物船が沈んだと書き残している。第5代皇帝ネロは、この港をアウグストゥス港(Portus Augusti)と命名したという。 クラウディウス帝は、ローマとオスティア港を結ぶ全長24kmのポルトゥエンシス街道(英語版)も造ったと言われている。既存の街道が途中の丘陵地を迂回しながら造られていたのに対し、新たに造られたポルトゥエンシス街道はほぼ直線に造られた。
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