クラウディウスの治世、そして皇后へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 07:14 UTC 版)
「小アグリッピナ」の記事における「クラウディウスの治世、そして皇后へ」の解説
西暦41年にカリグラが暗殺され、父ゲルマニクスの弟クラウディウスが帝位に就く。アグリッピナは流刑地から戻り、裕福な元老院議員のガイウス・サルスティウス・クリスプス・パッシエヌス(英語版)(西暦44年の執政官(コンスル))と2度目の結婚をする。夫には数年後に先立たれるが、2度目の結婚で彼女は夫の不動産を手に入れた。 クラウディウスの妻メッサリナが放蕩の末に自殺を命じられると、クラウディウス配下の解放奴隷で一手に帝国業務の雑務を引き受けていたパッラスの手助けにより擁立され、西暦49年に結婚して皇后となる。この結婚の目的は自分の息子ネロを帝位につけることであり、そのためにローマの法律でも禁止されていた叔姪婚を強引に実現した。 クラウディウスは有能な政策家ではあったが、夫としてはあまり威厳がなく、また妻の行動には関心はない(あるいは忙しすぎてできない)男だったので、アグリッピナに言われるままに彼女に「アウグスタ」の称号を与えたりした(それまで、この称号が生前に贈られる事はなかった)。彼女が軍事にまで口を出すので、皇后は皇帝と同じ権威があると勘違いしてしまうケルト人の族長もいたといわれる。 また、この時期に彼女は自分の野心、すなわち息子ネロを皇帝にさせるべく様々な布石を置いている。当時コルシカに島流しになっていたルキウス・アンナエウス・セネカをローマに呼び戻してネロの側近として登用したほか、ネロの軍事的な基盤として近衛軍団に注目し、同じくネロの側近としてブッルスを取り上げた。そして、クラウディウスに働きかけてネロを養子にした反面、クラウディウスの実子ブリタンニクスを孤立化させるなどの陰謀も行った。そして西暦54年、クラウディウスが毒キノコで死去すると、ネロがローマ皇帝となる。クラウディウスの死因については、古代ローマに限らず現代の歴史家も、アグリッピナが暗殺したのではないかとも指摘している。
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