キング牧師暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 18:51 UTC 版)
「ジェームズ・アール・レイ」の記事における「キング牧師暗殺」の解説
1968年4月4日にテネシー州メンフィスにおいて、キング牧師が泊っていたロレイン・モーテルの近くの下宿から、バルコニーにいたキングを銃撃、暗殺した。その後は、11時間かけて白いフォード・マスタングでアトランタに逃げ、3日トロントに到着し“レイモン・ジョージ・スニード”の偽名でカナダの偽造パスポートを入手し、白人至上主義のローデシアへ国外逃亡を謀った。 ポルトガルのリスボンに一時滞在しイギリスのロンドンに逃げ、事件から約2ヵ月後の同年6月8日に、ベルギーのブリュッセルに向けて出国しようとしてロンドンのヒースロー空港で偽造パスポートを行使しようとしたところを逮捕された。 レイは犯罪人引渡し条約によって直ちに身柄をテネシー州に護送され、翌1969年の3月10日に犯行を自供し、禁錮99年の刑を宣告された。しかし、カナダの偽造パスポートをどのようにまた誰の金で手に入れたのか、さらにロンドンやリスボンへの航空券及び滞在費を誰が支払ったか、これらのアイデアを誰から授けたのかは、大きな疑問として残された。 さらに1977年6月11日に、他の6人の囚人とともに同州の刑務所から脱獄を謀るが、2日後の6月13日に身柄を確保された。後に開かれた合衆国下院暗殺問題調査特別委員会(英語版)においては、自らの潔白を主張した。
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