キスッラと静穏な治世中期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 17:20 UTC 版)
「グングヌム」の記事における「キスッラと静穏な治世中期」の解説
同じ頃に統治者を変えたと思われるもう一つの地域はイシンの南東わずか20キロメートルに位置するそこそこの大きさの都市キスッラ(英語版)である。この都市はウル第三王朝の終焉以来、恐らくイシンの領土の一部であったであろう。しかしながら、イシン支配の長い期間の間、碑文や日付のある文書は発見されておらず、これまでの所キスッラから発掘された日付を持つ最古の文書はグングヌムの治世第10年、つまり前1923年のものである。これはほぼ確実にグングヌムがこの年にはキスッラ市を保持していたことを意味するが、この年がグングヌムがキスッラを占領した最初の年であるか、または占領がそれよりも前の時点で既に行われていたのかどうかを判定することはできない。いずれにしてもキスッラはラルサの支配下には長く留まることはなかった。この都市で発見された次の年名はイシン王ウル・ニヌルタの治世第4年(前1921年)に属するものであり、これはウル・ニヌルタの反撃によってキスッラ市が彼の手元に戻ったことを意味するに違いない。 キスッラの喪失の後、グングヌムの治世は平穏な段階に入ったようであり、少なくとも彼の治世第13年から治世18年の年名は専ら宗教的行事と灌漑用水路および神殿の建設にのみ関係している。これらには治世第16年のラルサ市のイナンナの神殿の建設と、治世第18年のカタッラ市のルガルキドゥナ神のための神殿の建設が含まれる。
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