ガラエキアの王国のスエビ族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 06:36 UTC 版)
「スエビ族」の記事における「ガラエキアの王国のスエビ族」の解説
ゲルマン民族の大移動の時期、一部のスエビ族は、陸路、あるいは、海路からイベリア半島のガラエキア(現ガリシア)地方に411年に定住しスエビ族のガリシア王国(英語版)(409年 - 585年、ガリシア王国)を築いた。419年に、アラン族とヴァンダル族を追放し、原住民やローマ人とガラエキアを分割し、農村地帯を支配したといわれる。5世紀中葉に最初の全盛期を迎え、ガラエキアにとどまらず、現アストゥリアス地方西部、現カスティーリャ・レオン地方西部と現ポルトガルの北部にまでその版図は及んだ。 448年、アリウス派の西ゴート王国に対抗して、スエビ王レキアリウスはカトリックに改宗した。しかし、456年西ゴートに首都ブラカラ(現ポルトガル北端部)を占領され、レキアリウスは囚われて、457年ポルトゥカレ(現ポルトガル北端部)で殺害された。一方、ガラエキアでは、マルドラによって新王朝が建てられて、西ゴートの朝貢国になったり、西ゴートと共存を図ったりし、6世紀末までその王朝を維持することができた。マルドラ王朝は、純粋にスエビ族であったのか、若干混血しただけで、スエビの王権を主張したかは不明だが、後者の可能性が強いと考えられている。 マルドラの子、レミムンドゥスは、再びアリウス派に改宗したが、6世紀中葉にカトリックの影響力が強まったことや、正統教義を奉じるフランク王国や東ローマ帝国との交流があったことで、再びカトリックに改宗した。576年頃から西ゴートの攻撃が始まり、最後のスエビ王アンデカは、西ゴートの王位継承争いでカトリックに改宗したヘルメネギルドを応援し、西ゴート王レオヴィギルドに対抗したため、ブラカラとポルトゥカレを占領されて、王位を剥奪され、王国は585年に滅亡した。
※この「ガラエキアの王国のスエビ族」の解説は、「スエビ族」の解説の一部です。
「ガラエキアの王国のスエビ族」を含む「スエビ族」の記事については、「スエビ族」の概要を参照ください。
- ガラエキアの王国のスエビ族のページへのリンク