カンパニア_(護衛空母)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > カンパニア_(護衛空母)の意味・解説 

カンパニア (護衛空母)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/18 02:59 UTC 版)

艦歴
発注
起工 1941年8月12日
進水 1943年6月17日
就役 1944年2月9日
1952年
退役 1945年12月30日
1952年12月
その後 1955年にスクラップとして廃棄
除籍
前級 アクティヴィティ
次級 ナイラナ級
性能諸元
排水量 基準:12,450 トン
満載:16,000 トン
全長 540 ft (160 m)
全幅 70 ft (21 m)
吃水 25 ft (7.6 m)
飛行甲板長 157 m×21.6 m
機関 H&V-B&W式6気筒ディーゼル機関2基2軸推進
最大出力 12,000 bhp
最大速力 17 ノット (33 km/h)
航続性能 17 ノット/17,000 海里
燃料 重油:2,230トン、航空機燃料:237トン
乗員 700名(航空要員:61名)
兵装 Marks XVI 10.2cm(45口径)連装高角砲1基2門
4cm(39口径)4連装機関砲4基16門
エリコン20mm連装機銃8基16門
搭載機 18 機

カンパニア (HMS Campania, D48) は、イギリス海軍護衛空母。戦後は1951年のフェスティバル・オブ・ブリテンで浮かぶ展示場として公開され、1952年の核実験、ハリケーン作戦では司令艦として使用された。

カンパニアはナイラナ級航空母艦と艦容は酷似していたものの、同型艦は無い。

艦歴

カンパニアはベルファストハーランド・アンド・ウルフ社で1941年8月12日に起工された。当初はニュージーランドから羊肉を運ぶための冷凍貨物船として建造されたが、その途中海軍によって取得され、1944年前半に護衛空母として竣工した。本艦は船体が大型なために格納庫スペースも広くなり艦載機の大半を船体内部に搭載できた。また、完成時期が遅かったために新型の277型高低度警戒レーダーや戦闘情報システムなどの新装備が竣工時から搭載された。

第二次世界大戦

就役後は大西洋および北極海において船団護衛、対潜哨戒任務に従事する。1944年12月、北極海でRA62船団を護衛中、搭載機のフェアリー ソードフィッシュドイツ潜水艦U-365を攻撃、これを撃沈した。

1945年2月8日、フェアリー フルマーが着艦事故を起こしている。

カンパニアは大戦を切り抜け、他のイギリス護衛空母と異なってすぐに廃棄や売却されることはなかった。航空機輸送艦として短期間使用された後、1945年12月に予備役として保管されることとなった。

フェスティバル・オブ・ブリテン

1951年のフェスティバル・オブ・ブリテンでカンパニアは移動展示館として使用された。民間の乗組員によって操艦されたカンパニアは国中の港に巡航し、ロンドンの主展示場および2,000の地方催事を補足した。

フェスティバルの責任者であるジョン・ホーランドは、艦が「容易にはショーボートに転換できない」と考えていた。しかしながら、戦後のヨーロッパ復興における船舶輸送に対する大きな需要の中、彼は同僚たちとともに、艦を使用できたことを幸運に感じていた。

艦は白く再塗装され、骨格マストで装飾された。公式に「航洋展示会 Sea Travelling Exhibition」と名付けられ、その展示品はロンドンの主展示場を反映するように意図された。陸上を巡回する展示会のように、展示場は3つのセクション、イギリスの地理・発見・人々に分けられた。1951年5月4日から10月6日まで艦はサウサンプトンダンディーニューキャッスルハルプリマスブリストルカーディフベルファストバーケンヘッドグラスゴーを巡回し、それぞれの港に10日から14日間留まった。

ハリケーン作戦

フェスティバルが終了すると、カンパニアはバーケンヘッドで困難な任務であるハリケーン作戦の司令艦として改修された。同作戦はイギリス初の核実験で、オーストラリア西部のモンテベロ諸島で行われた。改修では作業室、研究室、オフィスなどの設置に加えて、海水淡水化装置が装備された。モンテベロ諸島には水源が無く、実験に参加する1,500名に真水を供給するためであった。

実験には他の4席の艦、揚陸艦ナルヴィク、ゼーブリュッヘ、トラッカーおよびフリゲートのプリムが参加した。トラッカーは保健船に指定され、汚染除去設備を装備した。核爆弾はプリムに設置して爆破される予定であった。小艦隊はアーサー・デヴィッド・トルセー少将によって指揮された。

2機のドラゴンフライおよび2機のシーオッターを含む大量の装備を甲板や格納庫に満載し、カンパニアは1952年6月2日にポーツマスを出航した。イギリスの核開発を主導したウィリアム・ペニーら85名の科学者が乗り組み、その半数はイギリスの核計画に直接携わり、残りは民間から選抜されていた。

小艦隊はジブラルタルケープタウンモーリシャスフリーマントルを経由してモンテベロ諸島に8月8日到着した。それから2ヶ月間を実験の準備に費やす。実験は10月3日に実施された。

カンパニアは帰国後の1952年12月に退役し、1955年にブライスで売却、スクラップとして廃棄された。

参考図書

  • 「世界の艦船増刊第71集 イギリス航空母艦史」(海人社)

関連項目

外部リンク



「カンパニア (護衛空母)」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カンパニア_(護衛空母)」の関連用語

カンパニア_(護衛空母)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カンパニア_(護衛空母)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカンパニア (護衛空母) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS