カルロス・マウサ戦
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なかなか世界挑戦のチャンスが巡ってこない最中、帝拳プロモーションが、世界ランカーのカルロス・マウサに勝利することを条件に、佐竹の世界戦をプロモートすることを発表。 2004年3月6日のマウサ戦でも、佐竹は普段通りのシャープなボクシングを展開し、2Rにはカウンターでマウサからダウンを奪う。しかし、このダウンを機にマウサが強引な乱打戦に突入。次第にマウサのペースに巻き込まれてしまい、佐竹は約5年ぶりに敗戦(判定負け)を喫した。この試合で、佐竹は世界戦のチャンスを逃すとともに、世界ランキングを大幅に下げてしまった。 2004年6月4日、メキシコのウバルド・エルナンデスに6RKO勝ちを収め、再起に成功。マウサとの世界ランカー対決には敗れたものの、佐竹の評価は決して落ちておらず、「世界戦の前に弱点が見えてよかった。これを克服していけば、世界のトップでも通用する選手になれる」という、むしろあの敗戦を肯定的に捉える意見が多くを占めていた。 エルナンデス戦から4か月後、佐竹はOPBF東洋太平洋1位の金正範を相手に、10度目の防衛戦を行うことが決定。この試合の戦前予想も、佐竹の圧倒的有利だった。
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