ハリール・ジブラーン
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ハリール・ジブラーン(本名 Gibrān Khalīl Gibrān bin Mikhā'īl bin Sa'ad; アラビア語: جبران خليل جبران بن ميکائيل بن سعد)、シリア語ܓ̰ܒܪܢ ܚܠܝܠ ܓ̰ܒܪܢ Khalil Gibran、1883年1月6日 - 1931年4月10日)はレバノン出身の詩人、画家、彫刻家。英語読みからカリール・ジブランとも呼ばれる。キリスト教マロン派(マロン典礼カトリック教会)信徒[注 1]。
脚注
- ^ 母親もマロン派司祭の娘であった[1]。
- ^ 父親は、借金を重ねた上に賭博などで投獄され、財産も没収され、一家は住む所も失っていた。[1]
- ^ 至光社の翻訳書の年譜では1903年。
- ^ 英語初版は Alfred A.Knopf 社より刊行[2]。
- ^ 神谷の翻訳には『予言者』の字が宛てられている。
- ^ 『預言者の園』は草稿の段階でジブラーンが死去したので、バーバラ・ヤングが加筆してAlfred A.Knopf 社より上梓された[1]。ジブラーンは『預言者』『預言者の園』『預言者の死』の三部作とするつもりであったが[1]、『預言者の死』は幻に終わった。
- ^ 佐久間彪(1928年‐2014年)は、日本のカトリック司祭。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 小森健太朗・訳『人の子イエス』(みすず書房、2011年)巻末「訳者解説」より。
- ^ a b c d e f g 佐久間彪・訳『預言者』(至光社、1984年5月)のジブラン年譜より。
- ^ a b c d 佐久間彪・訳『狂い者』(至光社、2008年)のジブラン年譜より。
- ^ 関根 1979, pp. 9–10, 12.
- ^ 関根 1979, pp. 10–11.
- ^ 関根 1979, pp. 7–8.
- ^ 関根 1979, pp. 8–10.
- ^ 関根 1979, pp. 13–14, 87, 103, 200, 217.
- ^ 関根 1979, pp. 11–12.
- ^ 『神谷美恵子の世界』みすず書房編集部・編(みすず書房、2004年)、p.218。
- 1 ハリール・ジブラーンとは
- 2 ハリール・ジブラーンの概要
- 3 影響
- 4 出典・脚注
固有名詞の分類
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