カナダ合同教会の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 09:53 UTC 版)
「カナダ・メソジスト教会」の記事における「カナダ合同教会の成立」の解説
1925年にカナダ・メソジスト教会と、カナダ長老派教会の70%、カナダ会衆派教会の96%が参加してカナダ合同教会が発足した。メソジスト教会にはイートン家やマッセイ家のような名の知れた資産家がおり、トロント大学ビクトリア・カレッジ(英語版)の支援者となっていた。このメソジストによるカレッジはかつても今も知的な厳格さにおいてトロント大学の心柱であり、カナダの指導者や有名な思想家を多数輩出している。 メソジストの信者はかならずしもカナダ人の英語話者やトロント市民ばかりではなかった。けれども、一般にオンタリオ州南部では、とりわけトロント市では、その政治的、社会的影響力のおかげで、なかば冗談で「メソジストのローマ」といったあだ名が長いあいだトロントに付いていた。市内のメトロポリタン・メソジスト教会についても「メソジスト派の大聖堂」という呼び回しがあった。20世紀に合同教会が奉じた理想は、とりわけメソジスト派の思想であった。そうした価値観は聖書を重視する他のプロテスタント系教派とも結びついていたが、禁酒や安息日の徹底、女性の権利、先住民への布教などはメソジスト的であった。 1925年にカナダのメソジスト派はその呼称をやめてしまい、また合同教会の多くのひとたちも今ではその呼び方についてまったく意識していないが、しかし、カナダでもっとも重要なメソジストであるエジャートン・ライアーソン(英語版)のように、大学や諸機関の名を通して記憶されているものもある。例えばライアーソン大学、ライアーソン出版(合同教会の出版部門で、後にマクグルー=ヒル出版に売却された)、無数にあるライアーソン教会などである。
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