オーストリア公国とは? わかりやすく解説

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オーストリア公国

(オーストリア公領 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/11 02:45 UTC 版)

オーストリア公国
Herzogtum Österreich (ドイツ語)
1156年 - 1453年
国旗 国章

オーストリア公国の地図(1250年)
公用語 ドイツ語
バイエルン・オーストリア語
首都 クロスターノイブルク
ウィーン
1156年 - 1177年 ハインリヒ2世
1251年 - 1278年 オタカル2世
1278年 - 1282年 ルドルフ1世
1358年 - 1359年 ルドルフ4世
1439年 - 1453年 フリードリヒ5世
アルブレヒト6世
ラディスラウス(1440年-)
ジークムント(1446年-)
変遷
成立 1156年9月17日
ゲオルゲンベルク協定 1186年8月17日
ハプスブルク家統治の開始 1278年
ノイベルク条約 1379年9月25日
大公号の公認 1453年

オーストリア公国(オーストリアこうこく、ドイツ語: Herzogtum Österreichハンガリー語: Osztrák Hercegség)は、神聖ローマ帝国内の、現在のオーストリア共和国の領域に存在した領邦1156年の成立から1453年(大公を称したのは1359年)のオーストリア大公国の成立まで、バーベンベルク家ツェーリンゲン家プシェミスル家ハプスブルク家が統治した。

概要

前身はオーストリア辺境伯領、さらにオストマルク東方辺境伯領が最初の起源である。神聖ローマ帝国の南東辺境部の領邦ではあるが、帝国内でも重要な地域で、のちにハプスブルク家当主が神聖ローマ皇帝を世襲した。

1359年にルドルフ4世オーストリア大公を僭称した。皇帝に即位したフリードリヒ3世(オーストリア領主としてはフリードリヒ5世)が1457年に帝国法によってこれを正式の称号として定め、以後はその領国もオーストリア大公国を称するようになった。

歴史

脚注

参考文献

関連項目




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