オーストラリアから帰還した幟とは? わかりやすく解説

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オーストラリアから帰還した幟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 05:41 UTC 版)

穴守稲荷神社」の記事における「オーストラリアから帰還した幟」の解説

2014年平成26年11月5日、元オーストラリア兵デービッド・トリスト氏が、太平洋戦争終戦直後日本兵から受け取った穴守稲荷神社の幟が、約70年ぶりに神社戻ってきた。 終戦後南太平洋ブーゲンビル島パプアニューギニア)で、トリスト氏は降伏した日本兵集めて帰国させる任務担当していた。1945年昭和20年9月頃、若い日本兵所持品調べていた際、荷物中に赤い幟があるのを見つけ、家族へ土産にしようと、自分持っていた煙草交換した翌年任務終えて故郷持ち帰り自宅で箱に入れて保管していた。 トリスト氏は、幟を交換した日本兵について、20歳前半くらいだったこと以外は覚えていなく、幟に書いてある文字長年の謎だったが、トリスト氏の知人息子日本人結婚したことを聞き調べてもらったところ、「穴守稲荷大明神」であることが分かった。「戦争中スローガンのようなことが書かれている思っていたので、神社のものと知って驚いた終戦から70年前に両国友好のためにも返したい」そう思ったトリスト氏は、長年友人でもある地元のロス・ファウラーペンリス市長らが2014年11月姉妹都市静岡県藤枝市訪問することを知りその際返還してくれるよう頼み、幟の返還実現した日本兵氏名書かれ日章旗などが返還された例はあるが、神社の幟は前例がない。現在幟は「日豪両国友好と平和の証し」として、神社大切に保管されている。

※この「オーストラリアから帰還した幟」の解説は、「穴守稲荷神社」の解説の一部です。
「オーストラリアから帰還した幟」を含む「穴守稲荷神社」の記事については、「穴守稲荷神社」の概要を参照ください。

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