オリーブ山の儀式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/10 18:53 UTC 版)
イスラエルの地では7世紀から11世紀の70年代(セルジューク朝のアナトリア半島進出の頃と時期が重なる)までの間、仮庵祭のためにエルサレムに集まったユダヤ教徒の巡礼者は、祭りの7日目になると毎年オリーブ山に上って儀式を行っていた。この儀式にはエルサレムのラビらの権威を誇示する目的があり、同様の儀式は他のミズラヒムの共同体(バビロニア、ペルシア、イエメン)でも行われていたのだが、それぞれで様式が違い、とくにエルサレムの場合は全世界のユダヤ人社会の中心地という位置づけから荘厳なものであった。儀式では最初に、かつて存在したエルサレム神殿の再建とユダヤ人の聖地帰還を願い、それを象徴する7つの儀式が神殿の丘の入り口で執り行われ、続いてオリーブ山に移動すると、この日のために特別に編纂された讃美歌とピユートが読み上げられる。この間、敵対者である異教徒やカライ派のユダヤ教徒による投石などから儀式を守るため、随行者と雇われの傭兵には儀式の運営を護衛する役が担わされていた。こうして儀式が佳境に入ると、カライ派のユダヤ教徒、イスラム教への改宗者、その他ラビによる正統派ユダヤ教に反する者らに対して、ヘーレムの宣告が下さるのであった。ラバッド(アブラハム・イブン・ダウド)による1160年の著書『ספר הקבלה』(弁証の書)では、この状況が以下のように描写されている。 ラビらは律法の書を取り出すと、ヘーレムとされる背教者らの前で、それぞれの名を読み上げながらヘーレムを宣告するのであった。宣告された者どもは怖気づいた犬のごとく押し黙っているのであった。 — アブラハム・イブン・ダウド、『弁証の書』
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