オペラの名指揮者
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「ヨーゼフ・クリップス」の記事における「オペラの名指揮者」の解説
ナチス政権に協力しなかったため、1945年の終戦後すぐにオーストリアの楽壇に復帰することができ、戦後ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とザルツブルク音楽祭を最初に指揮したひとりである(クナッパーツブッシュ、フルトヴェングラー、ベーム、カラヤンはナチ協力の嫌疑で復帰が遅れた)。巨匠不在のウィーン・フィルを支えた名匠といえる。モーツァルト、リヒャルト・シュトラウスの作品を得意とした。 角のとれた優美なクリップスとウィーン・フィル(国立歌劇場管弦楽団)の芸風は、1968年の『コジ・ファン・トゥッテ』、1970年の『エジプトのヘレナ』などのライブ録音で偲ぶことができる。いわゆる「叩き上げ」の経歴をもち、歌劇場での稽古に手腕を発揮した。往年の名歌手エリーザベト・シュヴァルツコップは、「一番お世話になったのはクリップス!」と述懐したという。名ピアニストのリリー・クラウスも、もっとも優れたモーツァルト解釈者として彼の名を上げた。就いたポストが当時としては些か地味なものが多く、しかも短い在任期間ばかりだった(この点では同い年のドイツ圏の指揮者であるオイゲン・ヨッフムと対照的であった)こともあって、華々しい存在とはいえなかったが、ステレオ録音時代までウィーン生え抜きの香りを伝え続けた随一の存在であり、今なお根強いファンが存在する。 レコード・ファンの間ではとかくドイツ・オーストリア音楽だけの専門家と見られがちであるが、実際は特にアメリカ時代には現代作品を含む幅広いレパートリーを誇った。来日公演でもストラヴィンスキー、コープランドなどの作品を指揮している。
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