オスマン帝国黎明期の建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 05:44 UTC 版)
「オスマン建築」の記事における「オスマン帝国黎明期の建築」の解説
オスマン帝国ではじめて作られはじめた建築は、ルーム・セルジューク朝のイスラーム建築を直接の起原としている。1333年にイズニクに建設されたハジュ・オズベク・ジャーミーは、最古のオスマン建築とされており、ドームを扇形のスクィンチで支えるシングル・ドーム形式を採用している。これは15世紀以降に大規模に用いられるようになるが、その起原はルーム・セルジューク朝の建築に遡るので、ビザンティン建築の影響を受けたものではない。また、交差イーワーン・モスクと呼ばれる交差軸上にイーワーンを持ったジャーミーが確認されているが、これもルーム・セルジューク朝のマドラサにみられる建築手法である。 キュッリイェはムラト1世の治世において、はじめて建設された。1366年からブルサ近郊のチェキルゲで起工されたキュッリイェは、ジャーミー、マドラセ、エスキ・カプルジャ、救貧施設(イマーレット)、クルアーン学校(メクテプ)によって構成されている。これらの施設は宮殿に隣接しているが、どれも丘陵地のあちこちに点在しており、系統立てて建設されているわけではない。 1391年頃にバヤズィト1世がブルサに建設したキュッリイェも、同様にばらばらの配置となっている。しかし、バヤズィト1世のキュッリイェでは全ての施設は積石構造となり、随所に仕上げ材として大理石が用いられた。マドラサについてはこれ以降オスマン帝国で建設されたマドラサの典型となるもので、居住房の全面をドームの連続する回廊(リワーク)が取り巻き、講義室(デルスハーネ)が設置された。また、オスマン帝国初期のスルタンは、イスラーム神秘主義教団と密接な関係にあり、従って初期オスマン建築のキュッリイェには、必ず神秘主義の修行者(ダルヴィーシュ、スーフィー)の宿泊施設が用意されていた。
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