オストマルク州国家代理官
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「アルトゥル・ザイス=インクヴァルト」の記事における「オストマルク州国家代理官」の解説
ザイス=インクヴァルトは、そのままオーストリア首相職に代わってオストマルク州国家代理官に就任し、1939年4月30日までこの地位に留まっている。1938年3月15日にはハインリヒ・ヒムラーより名誉隊員として親衛隊に迎え入れられ、親衛隊中将位を与えられた。1941年4月20日に親衛隊大将に昇進している。 ドイツに併合された後、ザイス=インクヴァルトは早速オーストリアのユダヤ富裕層から財産没収を開始した。ユダヤ系国際財閥ロスチャイルド家・ウィーン分家当主ルイ・ナタニエル・フォン・ロートシルト(ドイツ語版)男爵もこの際に警察に逮捕された。ゲシュタポは保釈金としてオーストリア・ロスチャイルド家が所有する全ての財産と土地を要求し、ルイはこれに応じた。当時「史上最高額の身代金」と呼ばれた。保釈後ルイはアメリカへ亡命し、戦後もウィーンに戻らなかった。そのためザーロモン・マイアー・フォン・ロートシルト以来のウィーン・ロスチャイルド家はこれをもって滅びてしまった。 1938年10月4日から5日にかけて党ウィーン大管区指導者ヨーゼフ・ビュルケルと連携してウィーンで地域的な反ユダヤ主義暴動を組織した。この暴動で2000人のユダヤ人が警察に逮捕された。ユダヤ人にもはやオーストリアに自分の居場所はないことを悟らせ、彼らの国外退去を促すのが目的だった。 オストマルク州国家代理官を退任した後の1939年5月からはヒトラー内閣に無任所相として入閣している。
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