オスターレーダーラウフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/02 16:08 UTC 版)
リュクデは、自らをオスターレーダーの街と称している。これは、古くから行われ、現在も続けられている風習に由来している。その風習とは、復活祭に、水を含んだオークの輪に藁を詰めて火を点け、付近の山から転がして落とすというものである。言い伝えによれば、784年にカール大帝によってこの行事が行われ、クリスマスが近づいたことを祝ったと言われている。オスターレーダーラウフは、おそらく非キリスト教的なゲルマンの太陽崇拝に基づいており、カール大帝以前から既に風習になっていたと考えられている。これまでに何度もこの風習を禁止する試みがなされてきた。1743年のヴィカール・フォン・ヴィーデンブリュックによる禁止も、1781年のパーダーボルン司教領主ヴィルヘルム・アントンによる禁止も失敗した。19世紀末に鉄道ハノーファー - アルテンベーケン線の軌道が建設されて以後は、オスターベルクから6つの輪が転がされるだけとなり、その向かいに位置するキルヒベルクから転がされることはなくなった。 現在は、伝統文化保護を目的とする「デーヒェンフェライン・リュクデ」が毎年のオスターレーダーラウフを主催している。直径約 1.7 m、重さ約 270 kg のオーク製の輪が毎年6つずつオスターベルクから転がり落とされる。毎年新しい輪が造られ、奉納の辞が彫り込まれる。まず、行事の何日も前から輪はエンマー川に浸される。輪は当日にオスターベルクに運ばれてそれぞれ約 120 kg の藁が詰め込まれるのである。 会場となるオスターベルクからリュクデの街を望む 奉納の辞が彫り込まれた木製の輪に藁を詰める 藁に火がつけられ、オスターベルクの斜面を転がり落とされる
※この「オスターレーダーラウフ」の解説は、「リュクデ」の解説の一部です。
「オスターレーダーラウフ」を含む「リュクデ」の記事については、「リュクデ」の概要を参照ください。
- オスターレーダーラウフのページへのリンク