エンデュアランス遠征の後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 00:20 UTC 版)
「シャクルトン=ローウェット遠征」の記事における「エンデュアランス遠征の後」の解説
シャクルトンはエンデュアランス遠征で様々に孤立した隊員を救援するために貢献した後、1917年遅くにイギリスに戻って来た。時あたかも第一次世界大戦が激しさを増していた時だった。従軍するには年を取り過ぎていたが、それでも戦争遂行のための現役任務を求め、北ロシアへの軍事任務の一部として、暫定少佐の資格を得てムルマンスクに向けて出発した。この任務はシャクルトンを満足させず、家に送った手紙では「私は荒野で嵐に直面しているのでなければ、誰の役にも立たない」と不満を表明していた。1919年2月にイングランドに戻り、北ロシア政府との協業により、その地域の天然資源を開発する会社の設立計画を策定し始めた。この計画は、ロシア内戦の間に赤軍がその地域をロシアの一部として支配したために、実行できず、シャクルトンは収入の道として巡回講演を行うしかなくなった。1919年から1920年に掛けての冬、ロンドンのグレートポートランド通りにあるフィルハーモニック・ホールで、シャクルトンは1日2回、週6日、5か月間講演した。これと同時期に、エンデュアランス遠征の莫大な借金がまだ残っていたが、新しい探検事業の計画を立てはじめていた。
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