エンジン製造者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/11 21:44 UTC 版)
「グレン・カーチス」の記事における「エンジン製造者として」の解説
ニューヨーク州ハモンドボート生まれ。4歳の時父フランク・リッチモンド・カーチスが亡くなり、一家は決して裕福とは言えなかった。高校卒業後コダック社に入社するも退職し自転車競技選手に転じた。その後、金融業のウエスタン・ユニオン社でメッセンジャーとして働いていたが1898年3月7日にレーナ・パール・ネフと結婚をしたことを機に自転車ショップ経営を始めた。 内燃機関が容易に調達できるようになるとオートバイに興味を持ち、トマトスープの缶をキャブレターに流用した自作の単気筒エンジンを搭載したオートバイの製作・販売を開始した。自身の手によるオートバイで1903年には64mph(103km/h)の当時のスピード世界記録を樹立し、1907年には自身の設計による40馬力の4000ccV8エンジンを搭載したオートバイでこれを136.36mph(219.45km/h)まで更新した。この時点で、カーチスはアメリカNo.1のエンジン製作者の地位にあった。なお、この時に彼が乗ったオートバイにはブレーキがついていなかった。
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