エリツィンの台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 23:22 UTC 版)
「エストニアの独立回復」の記事における「エリツィンの台頭」の解説
他方、6月のロシア最高会議(ロシア語版)議長選挙で勝利した急進改革派のボリス・エリツィンは、ゴルバチョフによるリトアニアの経済封鎖を批判し、バルト三国の独立宣言を支持するなど、ゴルバチョフとの対決姿勢を鮮明にしていた。同月にはエストニア=ロシア両共和国間の経済協議がレニングラード市代表を含めて開始され、7月27日にはエストニアとレニングラードとの貿易協定が締結されるなど、エリツィンはゴルバチョフやソ連を飛び越えた指導性を発揮し始めた。 エストニアで9月末に開催された各共和国首脳会議においても、バルト三国は各共和国を統一する連邦評議会に関する協議への参加を拒絶した。同月にはエストニアとモスクワとの間で交渉が開始されるも、わずか3回目にして交渉は暗礁に乗り上げ、追い詰められたゴルバチョフは急速に保守強硬化してゆく。ゴルバチョフは11月17日の連邦最高会議において、分離主義的運動を鎮圧するためには思い切った手段の行使もあり得る、と述べ、同月パリで開催されたCSCEへのバルト三国のオブザーバー参加も、その圧力によって妨害した。
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