エリツィン - 細川時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:12 UTC 版)
「北方領土問題」の記事における「エリツィン - 細川時代」の解説
1993年10月:日本の細川護煕首相とロシアのエリツィン大統領が会談した。東京宣言(第2項)において、北方四島の島名を列挙した上で、「領土問題を、北方四島の帰属に関する問題であると位置付け、」「四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するとの手順を明確化し、」「領土問題を、歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書、及び、法と正義の原則を基礎として解決する」との交渉指針を示した。 同時に、日本とソビエト連邦との間の全ての条約その他の国際約束が、日本とロシアとの間で引き続き適用されることを確認した。さらにエリツィン大統領は、「日露間での有効な国際約束には1956年の日ソ共同宣言も含まれる」と発言した。
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