エラリー・クイーンの来日招聘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:52 UTC 版)
「松本清張」の記事における「エラリー・クイーンの来日招聘」の解説
アメリカの世界的な推理作家であるエラリー・クイーンを1977年に光文社などと共同で招待し、クイーン(フレデリック・ダネイ)と対談した。クィーン(ダネイ)との対談中、推理小説の基本的な考え方について互いに同意する一方、意見を対立させる局面もあった。クィーンは推理小説の世界ベスト10として、イギリスの推理作家トマス・バークによる「オッターモール氏の手」をあげたが、清張は「意外性のみを狙ったもので動機皆無、普遍性がない」と主張し、論争になった。 なお、アメリカ版『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』において、初めて掲載された日本人推理作家の作品は、清張の『地方紙を買う女』である。クイーンと清張との縁はその後も続いた。クイーンは1967年に起こったジム・トンプソンの失踪事件に関心を持っており、すでに『熱い絹』の執筆に着手していた清張と関心を共有することになった。清張やクイーンの作品を取り上げたテレビドラマ「傑作推理劇場」では、冒頭でクイーンが前説を述べる趣向が取られた。のちに清張はフランス世界推理作家会議で「あなたの作風はクイーンに似ていると思うが?」と質問された際、明確に否定している。
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