エディンバラ市電とは? わかりやすく解説

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エディンバラ市電

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/04 13:35 UTC 版)

エディンバラ市電
エディンバラ市電(1947年撮影)
基本情報
 イギリス
 スコットランド
所在地 エディンバラ
種類 路面電車
開業 1871年馬車鉄道
1888年ケーブルカー
1910年路面電車[1][2][3]
廃止 1956年[4][1][2]
路線諸元
軌間 4 ft 8+12 in (1,435 mm)[1]
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エディンバラ市電英語: Edinburgh Corporation Tramways)は、かつてイギリススコットランド)の都市・エディンバラに存在した路面電車19世紀に開通した馬車鉄道をルーツに持ち、一時はエディンバラ各地に大規模な路線網を有していたが、1956年までに全区間が廃止された[1][4][2]

歴史

エディンバラ市内における最初の軌道交通は、1871年に承認を受け同年に開通した、エディンバラ・ストリート軌道英語版(Edinburgh Street Tramways)によって運営された馬車鉄道であった。同社はエディンバラや周辺都市に路線網を広げた一方、1870年代後半から1880年代前半にかけてに代わる動力として蒸気機関車の導入を模索したが、沿線からの苦情により本格的な導入には至らなかった。一方、1888年にはエディンバラ・ノーザン軌道英語版(Edinburgh Northern Tramways)が新たに軌道事業に参入し、ケーブルカーを用いた路線を開通させた。その後、エディンバラ・ストリート軌道のエディンバラ市内の区間については1893年に設立されたエディンバラ・アンド・ディストリクト軌道英語版(Edinburgh and District Tramways)が買収し、馬車鉄道のケーブルカーへの置き換えが進められた。また、エディンバラ・ノーザン軌道も1897年にエディンバラ・アンド・ディストリクト軌道に吸収された他、1898年にはポートベロー英語版がエディンバラに編入された事を受け、エディンバラ・ストリート軌道が同地区で運営していた路線の買収も行われた[2][3]

以降、エディンバラ・アンド・ディストリクト軌道はエディンバラ市内でケーブルカーの運営を続けた一方、1910年6月にはエディンバラ市から委託される形で初の電化路線を開通させた。しかし、本格的な路線網の電化工事が始まったのは、同社への軌道交通の委託期限が切れた事によりエディンバラ市が運営権を継承した1919年の翌年、1920年からとなり、1922年から1923年にかけてケーブルカーの路面電車への転換が実施された。また、1920年にはエディンバラに編入されたリース英語版の路面電車(リース市電英語版)の路線網を吸収した他[注釈 1]1928年にはマッセルバラ英語版の路面電車の運営を受け継いだ後1931年には路線自体の買収が実施された[3][5][6][7]

その後、エディンバラ市は路面電車を交通機関の主力と見做し、路線の延伸が継続して行われた。車両についても、ケーブルカー用車両を改造した電車を置き換えるため、流線形デザインを取り入れた2階建て車両の生産が実施された。だが、1930年代後半から計画された一部区間は建設に関する議論により中断を余儀なくされ、更に第二次世界大戦の勃発により実現する事は無かった[5][8]

戦後もマンチェスターの路面電車(マンチェスター市電)からの譲渡車両により、ケーブルカー時代から使用された車両の完全置き換えが行われた他、線路や変電所といった施設の更新も継続的に行われた。だが、モータリーゼーションの進展や路線バスの拡充により次第に路面電車は時代遅れの産物と見做されるようになり、その結果1950年にエディンバラ市内の路面電車を将来的に廃止する方針が採択された。これに従い、1952年以降エディンバラ市内から路面電車網の撤去が進行し、翌1953年には1950年時点の路線網のうち1/4が運行を終了した。その後も廃止の動きは加速し、最後に残った2つの系統(23号線、28号線)が1956年11月16日に営業運転を終了し、同日のさよなら運転をもって、エディンバラ市内から一時的に路面電車は姿を消す事となった[8][9][10]

廃止後はほとんどの車両が解体され、その中には製造から僅か6年しか経っていない車両も含まれていた。ただし1948年に製造された「35」のみ解体を逃れて保存される事となり、2024年現在はクライチ英語版国立路面電車博物館英語版に収蔵されている。また、エディンバラ・ストリート軌道が運営した馬車鉄道時代の客車についても、2階建て車両の「23」がスコティッシュ・ヴィンテージ・バス・ミュージアム英語版(Scottish Vintage Bus Museum)に保存されている[1][11]

一方、エディンバラ市電の車両の塗装で初めて採用された茜色(マダー)と白色の組み合わせは、エディンバラの路線バスに加え[注釈 2]2014年に開通したライトレールであるエディンバラ・トラム車両英語版の塗装にも使われている[1][4][12]

脚注

注釈

  1. ^ リース市内の軌道交通はエディンバラに先駆け、スコットランドで初めて1905年から電化が実施されていた。
  2. ^ 2010年以降従来の塗装からの変更が行われている。

出典

  1. ^ a b c d e f Edinburgh Corporation Transport No. 35”. Crich Tramway Village. 2025年1月1日閲覧。
  2. ^ a b c d Michael H. Waller & Michael P. Waller 1992, p. 69.
  3. ^ a b c Michael H. Waller & Michael P. Waller 1992, p. 70.
  4. ^ a b c David McLean (2022年5月14日). “Striking colour footage shows Edinburgh's last trams on the move in the 1950s”. Edinburghlive. 2025年1月1日閲覧。
  5. ^ a b Michael H. Waller & Michael P. Waller 1992, p. 71.
  6. ^ Gavin Booth 1988, p. 4.
  7. ^ Gavin Booth 1988, p. 52.
  8. ^ a b Michael H. Waller & Michael P. Waller 1992, p. 72.
  9. ^ Michael H. Waller & Michael P. Waller 1992, p. 73.
  10. ^ Michael H. Waller & Michael P. Waller 1992, p. 74.
  11. ^ Our Exhibits”. Scottish Vintage Bus Museum. 2025年1月1日閲覧。
  12. ^ Madder and white in pink as buses return to classic livery”. The Scotsman (2010年3月23日). 2025年1月1日閲覧。

参考資料

  • Michael H. Waller; Michael P. Waller (1992). British & Irish Tramway Systems since 1945. Ian Allan Publishing. ISBN 0711019894 
  • Gavin Booth (1988-1-1). Edinburgh's trams & buses. Bus Enthusiast. ISBN 978-0946265091 



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