エズモンド・ロミリーとの結婚
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「ジェシカ・ミットフォード」の記事における「エズモンド・ロミリーとの結婚」の解説
19歳の時、ジェシカははとこのエズモンド・ロミリーと出会った。エズモンドはスペイン内戦で国際旅団に参加してマドリードを防衛していた際にかかった赤痢から回復しつつあるところであった。ロミリーはウィンストン・チャーチルの義理の甥にあたる。はとこ同士はたちまち恋に落ちでスペインに駆け落ちすることに決め、ロミリーはスペインで『ニューズ・クロニクル』の記者として働くことになった。親戚からの反対により法的な問題が起こったが、結局2人は正式に結婚した。ロンドンに引っ越してイーストエンドに住むようになったが、その当時この地域は貧しい工業地域であった。ジェシカは1937年12月20日に娘のジュリア・デッカ・ロミリーを自宅出産した。赤ん坊は翌年5月にはしかの流行で亡くなった。後年、ジェシカはめったにジュリアのことを口にせず、1960年に刊行した自伝『令嬢ジェシカの反逆』(Hons and Rebels)でもジュリアを名前で呼んでいない。 1939年に、エズモンドとジェシカはアメリカ合衆国に移住した。さまざまな仕事をし、常に金銭的に困窮した状態ながらも全国を旅した。第二次世界大戦が始まると、エズモンドはカナダ空軍に入隊した。ジェシカはヴァージニア・フォスター・ダーやクリフォード・ダーなどと親しくしながらワシントンD.C.に住んでおり、エズモンドがイングランドに派遣された後は夫と一緒に住むことを考えるようになった。1941年2月9日、ワシントンD.C.でジェシカは2番目の娘、コンスタンシア・ロミリー(「ドンク」や「ディンキー」と呼ばれていた)を出産した。夫エズモンドは1941年11月30日、ナチス・ドイツに対する爆撃から帰還する途中で作戦行動中行方不明となった。
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