烏雅束
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烏雅束(ウヤス、清寧7年(1061年) - 天慶3年(1113年))は、女真(ジュシェン)の10代目の首長。字は毛路完。廟号は康宗。
注釈
- ^ 祖父の烏古廼(ウクナイ)は長男の劾者(ヘテェ)と次男のヘリンボを一緒に住まわせ、ヘテェが家政の一切を、ヘリンボには主として外事を担当させたという。そうしたこともあってか、ヘテェの子の撒改(サガイ)や孫の粘没喝(ネメガ)は金皇帝のアクダやウキマイと並んで完顔部内で大きな勢力をふるった[2]。
- ^ 曷懶甸地方とは、朝鮮半島北東部の咸鏡道地方に所在する咸興平野一帯をさしている[1]。
- ^ 高麗はこの戦いに17万人以上の兵員を送り、国力を挙げた戦いであって有名な戦争だったが、女真側はアクダ以前の歴史でもあり、『金史』の記述はごく簡単なものとなっている[6]。この戦争は、結果として女真・高麗の和睦に終わっている[6]。
- ^ 勃極烈(ボギレ)とは、女真人の君長を指し、アクダはボギレの制度を整備して複数のボギレ(大臣)を置き、その合議で諸事案を決定した[3][5]。アクダは、自ら都勃極烈としてそのリーダーとなり、大臣会議を主宰した[3][5]。
出典
[続きの解説]
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