撒改
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撒改(サガイ、生年不明 - 1121年)は、金の宗室で景祖烏古廼(ウクナイ)の孫。金の世祖劾里鉢(ガリベチ)の長兄の韓国公劾者(ヘテェ)の子。1115年7月、国論勃極烈(国務大臣に相当)に任じられ、9月には国論忽魯勃極烈に改められた。死後、燕国王に追封された。海陵王の正隆年間(1156年-1161年)には陳国公に降封されている。大定3年(1163年)、金源郡王を改めて贈られ、太祖阿骨打(アクダ)の宗廟を受けて「忠毅」の号が授けられた。子に粘没喝(ネメガ、完顔宗翰)・阿懶(アラン、完顔宗憲)がいる。
注釈
原史料
出典
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