ウエストエンド市街鉄道
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「マサチューセッツ湾交通局」の記事における「ウエストエンド市街鉄道」の解説
初期の馬車鉄道は路線ごとに異なった事業者により運行が行われたため、運行事業者は20社も存在した。運行事業者が細分化されている状態では、路線網の発展が妨げられたり、過当競争が発生するという弊害があるため、1887年、州政府の指導下でこれらの馬車鉄道は1社に統合され、ウエストエンド市街鉄道(West End Street Railway)が誕生した。ウエストエンド市街鉄道は1,480両の車両を持ち、当時アメリカ最大の市街鉄道事業者であった。 この会社の最大の問題は、8,000頭にも及ぶ馬の飼育費用にあった。高い餌代に加え、病気で馬を補充する必要もあり、その費用は莫大な額にのぼっていたのである。サンフランシスコで生まれ、シカゴで大規模な路線網の展開が行われていたケーブルカーは、冬の降雪の問題でボストンではあまり広まらなかった。フランク・スプレイグの吊り掛け駆動式の路面電車が1889年に導入され、その後、馬車鉄道路線を置き換えていくことになった。 市街電車の登場は革新的であったものの、ヨーロッパから到着する人や物資により大発展を遂げていたボストンの市内交通を賄うには不完全で、公共交通の改善は都市の発展の課題となり、1891年、高速鉄道委員会が設立された。委員会は1892年に4つの高架鉄道路線と、市街電車が乗り入れる地下鉄路線の建設が必要であるとする報告書を出した。これを受け、1894年に公的機関であるボストン交通委員会のもと、ボストン市内で必要とされる鉄道路線を建設・運営する民間会社である、ボストン高架鉄道が設立された。ボストン高架鉄道はウエストエンド市街鉄道を1897年に買収し、ボストンの都市交通を包括的に運営する事業者となった。
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