ウェブリーMk IV .38/200 サービス・リボルバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:28 UTC 版)
「ウェブリー・リボルバー」の記事における「ウェブリーMk IV .38/200 サービス・リボルバー」の解説
第一次世界大戦後、イギリス軍は.455口径拳銃は近代的な戦争において大口径過ぎると判断し、より小口径の拳銃弾の採用を計画した。そして複数回の試験とトライアルの結果、.38口径でも200グレイン(13g)の弾頭を使用すれば従来の.455口径弾とおおむね同程度の威力とストッピングパワーが期待できるとされた。 これを受けて、ウェブリー・アンド・スコット社では.38-200弾(英語版)仕様のウェブリーMk IVの設計を当局に提出した。このモデルは民生・警察用に販売されていた.38口径Mk IIIリボルバーを改良したもので、いくらかのスケールダウンは行われていたものの従来のウェブリーMk IVとほとんど同じ形をしていた。しかし、英政府はエンフィールド造兵廠の設計を採用した。この銃はウェブリー製の.38-200仕様Mk IVリボルバーと外見上非常に類似していたものの、部品の互換性は一切なかった。この銃は間もなくNo.2 Mk Iリボルバー(Revolver, No. 2 Mk I)の名称が与えられ、1932年に採用された。また撃鉄の指掛けを除去してダブルアクションのみとしたモデルがMk I*として1938年に採用され、戦時生産体制に適応するべく簡素化したものがMk I**として1942年に採用された。 ウェブリー・アンド・スコット社はこれがエンフィールド造兵廠による盗作であるとして英政府を提訴し、この回転式拳銃の研究開発に掛かった費用2,250ポンドを保証するように求めた。エンフィールド側は異議を唱えたものの、ウェブリー・アンド・スコット社の支援を受けたH・C・ボーイズ大尉(ボーイズ対戦車銃の設計者)によって設計されたものであった事が記録から明らかになり、エンフィールド側はウェブリー・アンド・スコット社側の設計者2名にそれぞれ1,250ポンドずつを支払うこととなった。 また、エンフィールド造兵廠では軍の要求に応えられるだけのNo.2リボルバーを製造できないことが明らかになった為、第二次世界大戦ではウェブリーMk IVも共に使用されることとなった。
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