ウィーン協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 23:02 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ウィーン協定(ウィーンきょうてい)
一覧
- ウィーン文語協定 - 1850年にクロアチア及びセルビア出身者によって作成された言語統一についての合意。クロアチアの歴史及びen:Vienna Literary Agreement参照。
- 標章の図形要素の国際分類を設定するウィーン協定 - 1973年作成。
- タイプフェイスの保護及びその国際寄託に関するウィーン協定 - 1973年作成。
- ISOとCENの技術協力に関する協定(Agreement on technical cooperation between ISO and CEN)の通称。1991年締結。
関連項目
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ウィーン協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/16 03:39 UTC 版)
1808年の冬、フリードリヒ・ヴィルヘルムはウィーンへ向かい、1809年2月25日のウィーン協定 (de:Konvention von Wien) でカール大公にフザール1000騎、軽歩兵1000名および騎馬砲兵125名から構成される部隊の設立を約束した。彼はエールス公領およびベルンシュタット公領 (de:Herzogtum Bernstadt) の財産を抵当に入れ、その装備を自弁するよう望む。その場合、オーストリアは彼を連合国の一員と見なすという確約も得た。 協定の第3条は下記の通りである。 この部隊は「ブラウンシュヴァイク公国軍団」の名を冠する。 また第7条は下記のように規定した。 この軍団の編成が済み次第、創設者殿はすぐこれとともに召集の場から出発し、敵軍に対するその作戦を近隣のオーストリアの軍団と共同して開始するものとし、なお状況が許せばマクデブルク、カッセル、ブラウンシュヴァイクあるいは下エルベ (de:Niederelbe) に前進し、その軍団を可能な限り増強するものとするが、総じて全力をもって特に敵軍の連絡線、物資集積地、砲兵陣地や輜重部隊に打撃を加える義務を負う。 また第10条では、新しい軍団が武器や装備をオーストリアの工廠から得ることとされた。
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