イーゴリ・シュピリバンドとは? わかりやすく解説

イーゴリ・シュピリバンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/20 03:48 UTC 版)

イーゴリ・シュピリバンド
Igor SHPILBAND
2008年 JGPファイナルフリー演技後のキス・アンド・クライで
選手情報
生年月日 (1964-07-14) 1964年7月14日(58歳)
代表国 ソビエト連邦
出生地 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
元パートナー タチアナ・グラドコワ
元コーチ リュドミラ・パホモワ
獲得メダル
フィギュアスケート
世界ジュニア選手権
1982 オーベルストドルフ アイスダンス
1983 サラエヴォ アイスダンス
■テンプレート ■選手一覧 ■ポータル ■プロジェクト

イーゴリ・シュピリバンドロシア語: Игорь Шпильбандラテン翻字:Igor Shpilband、1964年7月14日 - )は、ソビエト連邦出身、アメリカ男性フィギュアスケートコーチ、元アイスダンス選手。パートナーはタチアナ・グラドコワ。妻は元ペアスケーターのヴェロニカ・ペルシナ

テッサ・ヴァーチュスコット・モイア他多数のアイスダンス選手を指導する。選手時代には1983年世界ジュニアフィギュアスケート選手権で優勝した。

経歴

1983年の世界ジュニア選手権にタチアナ・グラドコワとのカップルで優勝する。

1990年、ヴェロニカ・ペルシナ、ゴーシャ・サー、エレーナ・クリカノワと共にソ連からアメリカへ亡命。2000年にはアメリカの市民権を得た。

後、アメリカ・ミシガン州カントンにあるアークティックフィギュアスケートクラブでマリナ・ズエワとともにコーチを行っていた。生徒はテッサ・ヴァーチュスコット・モイアメリル・デイヴィスチャーリー・ホワイトエミリー・サミュエルソンエヴァン・ベイツアレックス・シブタニマイア・シブタニマディソン・チョックグレッグ・ズーラインなど。なお、1996年から2012年の全米選手権のアイスダンスの優勝者は全てシュピリバンドの生徒である。

2011年世界選手権では、表彰台に乗ったカップル3組全てがシュピリバンドの生徒だった。同じコーチの生徒が表彰台独占をするのは、1992年のナタリア・デュボワ以来のことである。

2012年6月3日、アークティックフィギュアスケートクラブを指導についての意見の相違から解雇された[1]。6月12日、同じミシガン州のノバイにあるノバイアイスアリーナを新たな拠点に選んだ。また、マディソン・チョックエヴァン・ベイツイザベラ・トバイアスデイヴィダス・スタグニウナスがシュピリバンドと共に練習拠点を移した。[2]さらに7月には、アンナ・カッペリーニルカ・ラノッテもチームに加わった[3]

2018年からは、パスカーレ・カメレンゴがコーチングチームに加わった。また、ノバイアイスアリーナとの契約を2026年まで延長した[4]

主な戦績

大会/年 1981-82 1982-83 1983-84
世界Jr.選手権 2 1
ゴールデンスピン 2

脚註

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