ナタリア・ロマニウタとは? わかりやすく解説

ナタリア・ロマニウタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/02 05:26 UTC 版)

ナタリア・ロマニウタ
Natalia Romaniuta
生誕 (1982-05-26) 1982年5月26日(42歳)
ヘヴェシュ県
身長 173 cm
獲得メダル
フィギュアスケート
世界ジュニア選手権
1999 ザグレブ アイスダンス
2000 オーベルストドルフ アイスダンス
2001 ソフィア アイスダンス
ジュニアグランプリファイナル
1998 デトロイト アイスダンス
1999 グダニスク アイスダンス

ナタリア・ロマニウタロシア語: Наталья Романютаラテン翻字Natalia Romaniuta1982年5月26日 - )は、ハンガリーヘヴェシュ県生まれのロシア女性フィギュアスケートアイスダンス選手。2000年、2001年世界ジュニア選手権優勝。1999-2000年シーズンJGPファイナル優勝。パートナーはダニイル・バランツェフなど。

経歴

ソビエト連邦の軍人だった父のもと、赴任先のハンガリーヘヴェシュ県に生まれ、5歳ころにスケートを始めた。その後、家族とともにエカテリンブルクに戻り、当初はエフゲニー・ザゴワルコとカップルを結成したが、1996年からダニイル・バランツェフと新たにカップルを結成した。

1997-1998年シーズンよりISUジュニアグランプリ(当時の名称はISUジュニアシリーズ)が創設され、国際大会へデビューを飾る。翌1998-1999年シーズンには全ての大会で表彰台に上った。1999-2000年シーズン、ISUジュニアグランプリのJGPサルコウ杯およびJGPハーグ、JGPファイナルの3大会連続優勝を果たし、世界ジュニア選手権でも優勝。ジュニアクラスの大会を完全制覇を達成する。2000-2001年シーズンからはシニアクラスのISUグランプリシリーズにも参戦し、世界ジュニア選手権では2連覇を達成した。

ソルトレークシティオリンピックを控えた2001-2002年シーズンは、GPスパルカッセン杯でシニア初表彰台の3位となったが、オリンピックロシア代表の2枠を賭けたロシア選手権では3位となり、代表に選出されなかった。直後の2002年欧州選手権ではパートナーのダニイル・バランツェフの体調が思わしくなく途中棄権。のちにカップルの解散を発表した。

その後、アメリカでアルセニー・マルコフとのカップルを模索したが、結成にまでは至らなかった。現在は結婚し母となり、コーチとして活動しているという。

主な戦績

大会/年 1997-98 1998-99 1999-00 2000-01 2001-02
世界選手権 16
欧州選手権 棄権
ロシア選手権 3 3
GPロシア杯 5
GPスパルカッセン杯 6 3
GPNHK杯 9
フィンランディア杯 2
世界Jr.選手権 7 3 1 1
JGPファイナル 5 3 1
JGPサルコウ杯 1
JGPハーグ 1
JGPSNPバンスカー 1
JGPソフィア杯 2
JGPウクライナ記念 2
JGPサン・ジェルヴェ 4

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