インディアンとの対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 01:18 UTC 版)
「ピルグリム・ファーザーズ」の記事における「インディアンとの対立」の解説
しかし間もなく、白人入植者たちは入植範囲を拡げ始め、インディアンとの間で土地と食料を巡って対立が発生し、戦闘が起きるようになった[要出典]。 ワンパノアグ族の酋長マサソイトは、平和と友好を保つためにピルグリムと条約を結ぶ[要出典]。 ピルグリムはまず1630年にマサチューセッツ族の領土に進入。ピルグリムの白人が持ち込んだ天然痘により、天然痘に対して免疫力があまりなかったマサチューセッツ族の大半は病死した[要出典]。 1636年には1人の白人がピクォート族に殺された事が切っ掛けでピクォート戦争が発生。ピルグリムは容疑者の引き渡しを要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、ピクォート族の村を襲い、大量虐殺を行った[要出典]。 さらに、平和の条約を結んでいたワンパノアグ族との関係も悪化していった。マサソイトの息子メタコメットは父マサソイトが結んだ条約を不平等条約であるとして異議申し立てをし、これを拒絶されたためワンパノアグ族は1675年にピルグリムのプリマス入植地を攻撃。こうして白人が「フィリップ王戦争」と呼ぶ土地紛争が勃発した。この戦争は周辺部族も巻き込み、1676年に終結するまで、ピルグリムとインディアンの両方共に多くの犠牲者を出した。
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