インスリン自己注射の適法化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 07:52 UTC 版)
「平田幸正」の記事における「インスリン自己注射の適法化」の解説
インスリンが発見されたのは1921年のことである。欧米では早期に糖尿病患者に対するインスリン自己注射が解禁されたが、日本では厚生省や医師の根強い反対があり解禁とはならなかった。1950年代後半に発売された経口血糖降下薬の存在が大きかったためである。インスリン療法が必要な患者にとっては、週に何度か通院するか自費で購入するかしか方策はなかった。 平田は1971年に署名運動を始めた。11万人もの署名を集め厚生省へ提出したが、この時も認可はならなかった。一時期「長野方式」 と呼ばれる手法を用いた医師もいたが、1976年に厚生省から中止命令が出た。経口血糖降下薬は効き目の強い薬剤であり、投薬量を誤った医療過誤による事故例が平田の調査では日本全国で500例近くに上った。訴訟まで発展し、患者側が勝訴した事例もあった。この後も平田は厚生省や日本医師会へ月に何度をなく陳情を繰り返し、流れをつないだ。 1981年5月23日、中央社会保険医療協議会は厚生大臣に対する答申の中で、インスリン自己注射の保険適用を認めるべきとし、同年6月1日から実施された。平田の永年の懸案事項が解決した日であった。この答申直前まで厚生大臣の職にあった園田直もまた重篤な糖尿病患者であり、糖尿病の合併症である腎症を患っていた。
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