イプサの起ち上げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 07:43 UTC 版)
1985年より、「資生堂」を冠さない新ブランドの企画に携わる。「自分で作る自分だけの化粧品」をコンセプトとするブランド「イプサ」を起ち上げ、翌年設立された「株式会社イプサ」に前田も出向した。「資生堂には戻らない、イプサに骨をうずめる覚悟」だったが、イプサの業績は低迷し事業計画を下回る結果しか残せなかった。来客が少なく立ったままのイプサの美容部員に対し、資生堂の役員から「電線にスズメが止まってチーチー鳴いているみたいだ」と厳しい批判がなされるようになった。 そのため、3年後に資生堂に戻り、経営企画部の課長に就任した。(1989年12月)だが、このポストは仕事が与えられないリストラ用の閑職であり、2ヶ月間全くやることがない窓際社員扱いとなったため、挫折感を味わい退職を決意する。しかし、元上司に「お前、辞めたらあかんで」と励まされたことから奮起し、経営企画部の部長に「仕事を下さい」と頭を下げ、部長から中期経営計画の策定作業に加わるよう指示された。
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