イチローの父親として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 15:22 UTC 版)
イチローが小学校の3年生の時から中学に入るまで、学校から帰宅して日が沈むまで毎日、野球の練習に付き添い、また練習後は毎晩イチロー選手の足の裏をマッサージをしていた。1994年にはイチローの個人事務所『オフィス・イチロー』を設立し、自ら社長に就任している。 デイリー新潮の取材によると、1999年にイチローが福島弓子と結婚したことを契機に親子関係は悪化を始めた。宣之がこの結婚に否定的だったことや、宣之がイチローのメジャー・リーグ移籍に反対していたこともあり、イチローは宣之から距離を置くようになった。2003年1月に『オフィス・イチロー』が名古屋国税局からの9千万円の申告漏れを指摘された際には、イチローは宣之の不適切な管理を批判した。 イチローは宣之が講演など公の場で自身に言及することを望んでおらず、2003年に元広島監督の古葉竹識が広島市長選に立候補した際、イチローと宣之は応援演説の要請を受けていたが、イチローは古葉の選挙対策関係者に対し、宣之には絶対に街頭演説をさせないよう要請している。 2002年11月に豊山町で催された『イチロー杯争奪学童軟式野球大会』の表彰式で、イチローは「大リーグ挑戦を父に反対されて辛かったけれど、意思を貫いてよかった。自分で決断ができる大人になってほしい」と述べたと報じられている。一方、宣之自身は息子のメジャー挑戦に反対したことはないと主張している。
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