イスラームの君主として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 04:29 UTC 版)
「シャー・ルフ」の記事における「イスラームの君主として」の解説
イスラーム法(シャリーア)の遵守を全面に出す敬虔なムスリムであり、父ティムールと異なりキュレゲン(チンギス・カンの婿)を名乗らず、傀儡のハンを立てようともしなかった。金曜日には一般の信徒と共にモスクで礼拝を行い、ムフタスィブの監視の下で自分の息子たちも対象とした厳格な禁酒を敷いた。建築事業としてヘラートにマドラサやスーフィー巡礼者のための宿泊施設を建て、サマルカンドのビービー・ハーヌム・モスクに巨大なクルアーンの書見台を寄贈した。イスラームの異端派に対しては厳しい弾圧で臨み、1427年2月には金曜礼拝を終えたシャー・ルフがモスクから出た時、異端の信者に腹部を刺される事件が起きた。 その一方で、シャリーアに反する商税(タムガ税)を救貧税(ザカート)と称して徴収する現実的な面も持ち合わせていた。
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