アンベスティスマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:06 UTC 版)
モロッコ事業は北アフリカ総合会社(ONA Group)といい、第一次世界大戦後の1919年に設立された。1928年から第二次世界大戦終戦までゼネラルモーターズの代理店であった。1953年にパリバが全く支配するところとなり、1980年にハサン2世が主要株主となった。これが2010年に解体されるとき、ダノンとクラフトが参加した。解体計画はムハンマド6世のコンツェルンが調整した(Société Nationale d'Investissement)。コンツェルンは1949年創立のフランス国営投信に同名で、1966年に設立され、1994年からカサブランカ証券取引所に株式を上場していた。世界金融危機のピークであった2009年、王のコンツェルンは23億マッドの純益をあげた。この年の55.2億マッドに迫る投資額は、主にサンタンデール銀行からワファバンク(Attijariwafa Bank)の株を10%買った分である。同年からコンツェルンは経営規模を急拡大、翌2010年に北アフリカ総合会社との合併を宣言した。コンツェルンは投資ファンドに対する系列子会社の自律性を大胆に保障した。解体が落ち着いた2013年6月時点で、ラファージュとアクサがわずかながらコンツェルンの株式を保有している。前者がホルシムと合併して、2016年にコンツェルンが純益を34%増加させた。ウィキリークスは2009年12月の在モロッコ米大使館による秘密電報を公表して、王宮と総合会社が腐敗した関係にあると非難している。
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