アメリカ遠征での逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 21:13 UTC 版)
アメリカ遠征の折、人気者であった沢村は、サインを次々と書かなければならなくなり、次第に自身の名前を書くのに飽きてしまった。そのため、漢字の通じないアメリカ人が相手ということもあり、当時の人気女優であった「田中絹代」の名前をたびたび書いていた。また、酔っ払いからサインを強要されたときには、「馬鹿野郎」と書いたこともあったという。 アメリカ遠征の休日に、現地の日本人に連れられて選手たちは遊園地に遊びに行っていた。遊園地の中に的あてゲーム(綿が入ったボールを投げて6-7m先の標的に当て、当たった数で賞品が与えられる)があった。しかし、本物の野球ボールとは重さが違うため、選手たちはうまく標的に当てられず賞品にありつけなかった。沢村も最初はうまくいかなかったが、そのうち綿ボールを投げるコツを掴んで、標的に百発百中で当てるようになり賞品を独占してしまった。
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