アメリカ留学と帰国まで
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1948年に東京音楽学校を卒業し、直ちに講師に就任したが、同年11月に渡米してカーティス音楽院に留学し、アウアー門下のエフレム・ジンバリストに師事した。1951年、日本人ヴァイオリニストとして初めてカーネギーホールでデビュー・リサイタル(ピアノ:ウラディミール・ソコロフ)を行い、1952年に同音楽院を卒業した(なお、1952年~1953年は同音楽院の「研究生」として在籍した)。1953年、同音楽院においてジンバリストの助手となり、1954年に教授に就任した。1955年9月8日、アンジェラ・ヌドと結婚し、1956年に長男カーチス、1957年に二男マイケルが生まれた。1958年、デッカと専属アーティスト契約を締結した。1951年のデビューから1961年の帰国までの約10年間は、アメリカ各地、ハワイ、イタリア、メキシコ、コスタリカ、カナダ、そして日本などで演奏会を開き、演奏活動に励んだ。
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