アメリア・コートハウスへの逃亡; ナモザイン教会の戦い、ビーバーポンド・クリークの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:37 UTC 版)
「アポマトックス駅の戦い」の記事における「アメリア・コートハウスへの逃亡; ナモザイン教会の戦い、ビーバーポンド・クリークの戦い」の解説
リー軍の大半はピーターズバーグとリッチモンドを後にして、北軍に対して実質的に1日分の行程を先行していたが、フィリップ・シェリダン少将の騎兵と歩兵軍団の前衛部隊は、リー軍を北に置いて南に並行して走るルートで追跡できていた。北軍騎兵隊は南軍がピーターズバーグを出てから間もない時から、嫌がらせを行い、小競り合いを挑んでいた。4月3日、カスター准将(名誉少将)の指揮する北軍騎兵隊の前衛部隊がナモザイン教会の戦いで南軍騎兵隊の後衛部隊と戦った。4月4日、両軍はビーバーポンド・クリークで小競り合いを行った(タバナクル教会の戦いとも呼ばれる)。さらにアメリア・コートハウスでも小競り合いが起こった。一方、シェリダン軍は鉄道の重要な結節点であるジーターズビルとバークビル・ジャンクションを占領した。 リー将軍は当初、ピーターズバーグとリッチモンドを離れたときの4つの部隊がリッチモンドの南西39マイル (63 km) にあるアメリア・コートハウスに集結して、物資補給を行う作戦だった。リーの軍隊の兵士は僅か1日分の食料を持っただけで、ピーターズバーグとリッチモンドを離れていた。アメリア・コートハウスに来て軍隊と落ち合うよう命令していた食料の輜重隊が到着するのを期待していた。4月4日にそこに到着したときに、輜重隊に軍需物資は積まれていたが、食料は無いことがわかった。リーは1日遅らせて地域に徴発部隊を派遣したが、全部隊がアメリア・コートハウスに到着したのは翌朝になっていたので、軍の一部を背後に残して移動することはできなかった。
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