アムンセンの北西航路航海成功
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「北西航路」の記事における「アムンセンの北西航路航海成功」の解説
海路による北西航路の横断は、結局1906年までなされなかった。1903年、ノルウェーの探検家ロアール・アムンセンは、探検活動をやめさせようとする債権者から逃げるようにして、47トンの鋼製狩猟船ヨーア号(ノルウェー語版)(Gjøa)で大西洋から北西航路へ入った。3年後、北極諸島を横断してアラスカにたどり着いたアムンセンは、歩いてアラスカ州イーグルの町に入り、故国へ探検成功を伝える電報を打った。 彼はバフィン湾・ランカスター海峡・フランクリン海峡(英語版)・ジェイムズロス海峡・レイ海峡(英語版)と、東から西へ向かう航路を選んだ。キングウィリアム島とブーシア半島の間のレイ海峡(Rae Strait)は新しい氷が多く比較的航行可能で、この選択が成功のもとになった。ただし水深がわずか1mと非常に浅い部分があり、ヨーア号だから航行できたものの普通の商船や軍艦での通過は不可能な航路であった。 キングウィリアム島の南西海岸(現在のヌナブト準州ジョア・ヘイヴン(英語版) Gjoa Haven)で2回越冬したアムンゼンは先住民から、犬ぞりの使い方や獣皮の着方など寒帯で生き残る術を学び、これが後の南極などの探検に生きた。さらにビクトリア島の南を航海し1905年8月17日にカナダ北極諸島を抜けボフォート海へ出ることに成功したが、アラスカ沖で流氷に閉ざされ3度目の冬を越すことになる。彼は800kmを歩いてアラスカ州イーグル(英語版)に向かい、北西航路を横断したという電報を打って船に帰った。次の夏に氷を脱出したヨーア号はベーリング海峡を通過してアラスカ太平洋岸のノームに入港し、ついに北西航路の横断航海に成功した。
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