アムンセンのキャンプ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:25 UTC 版)
「テラノバ遠征」の記事における「アムンセンのキャンプ」の解説
スコットの計画にはバリアの東にあるキングエドワード7世半島を探検し科学的観測を行うことも入っていた。キャンベルの指揮する1隊がこの目的で組織され、キングエドワード7世半島に接近できないと分かった時には、北西のヴィクトリアランド探検も選択肢にあった。1911年1月26日、キャンベル隊が船で出発し、東に向かった。この隊はキングエドワード7世半島への上陸を数回試みて失敗した後、その選択肢であるヴィクトリアランドに向かった。バリアの縁に沿って西に向かっているときに、アムンセンの遠征隊がバリアの入り江であるクジラ湾でキャンプを張っているのに出会った。 アムンセンは礼儀正しく親切であり、キャンベルが近くでキャンプするのを歓迎し、その支援のために犬を提供した。キャンベルはそれを丁重に断り、隊員と共にエバンス岬に戻るとこの展開を報告した。チェリー=ゲラードに拠れば、スコットのその隊員の最初の反応は、クジラ湾に急行してアムンセンと「決着を付けよう」ということだった。しかし、スコットはその日誌にこの事件を静かに記録した。「1つだけ私の心に留まったものがある。適切さと共に賢明さ、これが起こらなかったかのようにまさに進行している。恐れや恐慌無しに、我が国の栄誉のために前に進み最善を尽くすことだ。」と記した。
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