アクセル・ローズとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 22:15 UTC 版)
「イジー・ストラドリン」の記事における「アクセル・ローズとの関係」の解説
アクセルは、インタビューやライブなどで「イジーにはすっかり騙された気分だ!」「『Double Talkin' Jive』は奴が書いた曲で、あいつ自身のことだ!」など、度々イジーへの非難を残している。スティーブン・アドラーの脱退には、冷淡な態度をとったが、イジーの脱退は想定外だった様子。 アクセルは、イジーから脱退に関する申し入れがあった際、数時間を費やし残留の説得をしたようだが、一方でおもちゃやバイクを買ったりせず、バンドだけに専念しろと誓約書を書かせようとしたとされる。それがバンドをやめる決定打になったと、インタビューでイジーは語っている。 後にアクセルは、同郷の幼馴染みであるポール・ヒュージというギタリストを加入させ、「イジーに次ぐ理解者」との発言を残している。 1991年の脱退時、「バンドのメンバーには戻れないが、曲作りやツアーで困ったことがあったらいつでも呼んでくれ」とアクセルに言い残したという。実際、インタビューでもガンズ用の曲をいくつか書いていると話している。 1993年、後任のギタリストギルビー・クラークの怪我によるツアー欠席時、代役にイジーが一時復帰。バンド復帰とも推測されたが、アクセルとの関係は修復されなかった。イジーは5公演を消化したのみに終わる。 1998年、アルバム「117°」発表時に「アクセルから助けを請われれば、いつでも行く」「しかしアクセルは相当頑固なので、素直に言ってくることはない」と語っている。 2001年に開催された「ロック・イン・リオⅢ」にガンズが出演した際、アクセルはマネージャー、ダグ・ゴールドスタインを通じて共演を依頼した。 2006年、アクセルのインタビューによると、「イジーとはつい最近話した」とのこと。何を話したかは不明であるが、連絡を取り合う関係ではあるようだ。 同年6月、英国で開催されたDownload festival 2006と、ガンズのパリ公演にゲスト共演している。 2008年に発売されたChinese Democracyのアクセルローズ・サンクスリストに、オリジナルメンバーでは唯一その名を連ねている。 近年、ダフ・マッケイガンとスラッシュが、曲の利権や印税の問題で数回アクセルを訴えているが、最も多くの曲を書いたにも関わらず、イジーは訴訟を起こしていない。
※この「アクセル・ローズとの関係」の解説は、「イジー・ストラドリン」の解説の一部です。
「アクセル・ローズとの関係」を含む「イジー・ストラドリン」の記事については、「イジー・ストラドリン」の概要を参照ください。
- アクセルローズとの関係のページへのリンク